息子夫婦のいる神楽坂近辺は緑はないが地下鉄やJRが何本も走っており、今になって(なんて便利な!)と驚いている。数年前息子が大学時代お友達とシェアして暮らしていた春日駅も散歩コースで、なんとそこから海老名から相鉄線一本で帰れるという路線もあると気付いた。海老名ここまで再開発が進んでいたのか…!国、県?の進める計画は庶民にはまるで「いつの間に!」という大変化が多いように思う。
東京ど真ん中の駐車場はマンション並みのプライスなのでよほどの稼ぎがなければこの土地でマイホーム&マイカーを持って暮らすことはないだろうが、いや、稼ぎがあっても必要ないと考える都会人も多そう。小さい子供もわりといるので若い家庭も想像以上にいるだろう。そこまで行ったならついでに寄りたい駅がいくつかある。そこも地下鉄で直通なの??嬉しい発見。池袋、表参道、飯田橋、それぞれ全く違う顔を持つ。どこにも人はいて地に根を張ってる人、通りすがりの人、うじゃうじゃ交差している。ワタシの憧れる「野生の王国」は動物達が血流のように群れをなして移動しているが、人間の動きもそうなのだろうか?
【本のタイトルに目を奪われた。】
「後悔なく生きるのは宇宙に行くより難しい」著:宇宙飛行士 野口聡一
朝サラダ
【母のこと】
父の相続やら確定申告やら、やらねばならぬ面倒な手続きの数々、ただでさえパニック続きの母は一層パニクり、近づいただけで電流を浴びるようにパニックが伝染しそうだ。落ち着いてもらおうと姉との旅も決行したが海辺で石探しをしている以外は落ち着きのないソワソワ状態。書類作りを義兄が手伝ってくれ提出は「ご自分(母本人)で税務署へ行った方が良いよ」=(税金払うこともないだろうし、戻ることもないのでは。この手続き必要ないのでは?)メッセージを感じる。
80歳ってこんなにパニクるの?とまたしても愕然とする。母とて自分の現状を想像もしていなかっただろうが。その最中、母が近所で頼りにしていた何歳か年下の奥さんが命に関わる病状が発覚し緊急入院をしたそう。いつもこの世で一番悲惨な私を慰めてくれてくれる友人の方が先に逝きかねないと知って少し冷静さを取り戻しただろうか?
と、まぁ母のメンタルばかりを心配していたが、記憶違いで言えばワタシの方が重症だった。母から息子へ出産祝いをもらったらしいのだがさっぱり記憶にない。それどころか「いらない」と断り続けたと信じ込んでいたので「あげたの覚えてる?なんにもリアクションこないけど」に母がいよいよおかしくなったと100%疑ってかかる思考。正月に渡してそれまで何度も断っていたのにあっさりワタシが受け取ったというのだ。で、いつ息子に渡した??息子に聞いたら「もらったけどいつどう受け取ったか覚えてない」と言う。なんて可哀想な母...ごめんね本当に(涙)。
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時々「うぉおおおおーーー!!!」と叫びたくなる。一体なんなんだこの情緒不安定。「母」か?母の変化が受け入れられないのか?久々に会った友人に「あんまりお母さんのことやってるとおかしくなるよ」と言われたがコレか?叫びたい症状こそがすでにおかしくなってるのか。母のこともそうだが、一番悩ましい、新たに何かしようとするとエライ時間がかかり思うようにコトが進まないのがイライラの原因だろう。
「脳」の退化が起きてることは否めない。5歳年上の従兄弟が「そんなもんじゃないよ、これから一気に来るからね」と釘も刺された。姉が「お母さんが一層ボケて下の世話してる夢見たー」と嘆きの電話がかかってきたが妄想なのか現実なのか分からない。心配になって母に電話をしてみる。夜の9時というのに出ない。もう布団に入ったのか…と諦めるとしばらくして折り返しかかってきた。「ちょっと庭出てた」(え??こんな時間に?雨降って寒いのに?)「あ、昨日は(おでん差し入れ)ありがとう」(記憶あるじゃん)
認知症の兆候が出初めてから家の介護4年、施設で1年という40代の女性の手記も読んだばかり。一体母の余生はどうなるのだ?「老い」の現実を体感しいろいろ焦っている。
【良かったこと】
義母の手料理を久々に堪能。いつか小料理屋でもやれるように、という調理師免許ももっていた義母は煮魚など調味料目分量でササッと作りめっちゃ美味いのだ。ぶりの照り焼きは86歳になった今もしっかりとプロの味わいで仕上げてくれていた。ほっぺた落ちた。20代~30代は当時50~60代の義母の手料理を食べていたなぁと思い出す。
先週、親子で風邪っぴきでピンチだった息子宅のヘルプ(うれしい)、ジャックションソン有明ガーデンライブ、母の80歳BDで盛り沢山。アッちゃん(息子ワイフ)が整理整頓好きの綺麗好きなのでどこに何があるのか全て把握、息子宅キッチンで料理をするのは快適だが自分のオウチに帰るとその落差にガクンとくる。ウチの整理をお願いしたいくらいだがその前の掃除が途方に暮れる。
さらにその掃除の前に欲しいものが出てきて困っている。今は80年代の少女漫画。読み漁りたくて仕方がない。こんなに価値があることを誰も分かってないんじゃないか?錯覚に囚われている。アナログでしか醸し出せない「妙」を放置して良いのか??
さて話は母と姉との恐ろしき珍道中旅。相続も終わってないのに旅なんてしたくない、という母に、姉がドスを利かせて「もう申し込んでんのに今頃キャンセル出来ないんだよ!」と脅し、なんとか女3人揃って箱根一泊旅を敢行した。
贅沢厳禁で生きてきた母はお金のかかるホテルは罰が当たるという思考だ。いい加減老い先短いのだからあるお金は使って美味しいモノを食べ、惜しみなく楽しめば良いものを、「だよね、そうする!」と言ったそばから「コレはいらない、頼まない」の連発。「外食はイヤ」と言われれば何を楽しみに来たのか?とテンションが下がる。
このメンツで平和な時間がいかほど保つのだろう?姉には「お母さんが怒らずに最後まで旅が出来たらいいね、そしたら後で打ち上げやろう」と極力平和を保つよう促す。母は母なりに娘たちを怒らせないよう言葉を一生懸命考えているようだった。
母のボケも相当進行したると愕然とする。もう80歳、まだ80歳。「みんなそうなっていくんだ」と開き直りの自己評価はまともだが、やはり子供のような言動が多い。脳細胞がもの凄い勢いで減少している、とはこのことか、と背中が凍る。
最も息子にとっては50代半ばの我々親世代を呆け老人扱いをするので第三者による社会的評価がないと自分自身どんどん存在が薄くなっていく気がする。母は公民館や市の浴場施設にせっせと通いお金を使わない学びに努め「誤嚥性肺炎の防ぎ方講習」を受けていた。ワタシはいろいろと計画を練っている。
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