思考が嬉野過ぎると、酸素不足になって苦しくなるので、
だから時々神奈川に戻って調整しないとならなくて、そのスパンがこれまでは月1で良かったのだけれど、今は毎週戻りたい心境。誰かがそれは成長過程とおっしゃった。まちおこしを仕事でやっていた方も東京に戻ってようやく酸素が吸える、という表現をしていたがなんとなく分かったのでその心境に達したのだと言い聞かせている。
「自分で自分の居場所をなくす」というタスクがあまりに矛盾していてやるせなく、そんな事そもそもおかしいだろう?と思っているが、そんなきれいごと言ってる場合じゃないし、最初から「無責任が仕事です」って言ってるようなものではないか?とハッとするのでイヤイヤイヤとんでもない、ずっと必要とされたいから頑張っているのだ、人間は誰しもそんな気持ちでなければやってられないんじゃないかと思う。
自分がいなくても大丈夫、と思える日は熟した果実がストンと落ちるようにあまりに自然で誰も気付かず、涙も出ず、笑顔で「またね」と言える時。
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